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福岡地方裁判所 昭和43年(行ク)3号 決定

申立人 片山澄夫 外八四名

被申立人 北九州市病院局長

主文

一、被申立人が申立人片山澄夫、同安田治子、同赤木文造、同藤岡サダ子、同桃坂知行に対し昭和四三年三月二九日付でなした地方公務員法第二八条第一項第四号により同月三一日限り免職する旨の各処分の効力を福岡地方裁判所昭和四三年(行ウ)第一五号、第一六号各分限免職処分取消請求事件の判決確定に至るまで停止する。

二、その余の申立人らの申立を却下する。

三、申立費用のうち、申立人片山澄夫、同安田治子、同赤木文造、同藤岡サダ子、同桃坂知行と被申立人との間に生じた部分は被申立人の負担とし、その余の申立人らと被申立人との間に生じた部分はその余の申立人らの負担とする。

理由

第一申立の趣旨及び理由

申立人らの分限免職処分執行停止申請書並びに昭和四三年六月二四日付、同年七月八日付、同年九月一六日付、同年一〇月三一日付及び同年一一月一三日付各準備書面の記載を引用する。

第二被申立人の意見

被申立人の意見書、補充意見書並びに昭和四三年九月三日付及び同年一〇月三〇日付各準備書面の記載を引用する。

第三当裁判所の判断

一、前提となる分限免職処分

疎明によれば、申立人らがいずれも昭和四三年三月当時北九州市病院局の技術吏員または業務員であり、門司、小倉、若松、八幡、戸畑の各市立病院及び第一松寿園、第二松寿園の各市立療養所においてそれぞれ給食業務、清掃業務、警備業務等地方公務員法第五七条のいわゆる単純労務に従事していた者であること、申立人らに対する任免権者であつた被申立人が昭和四三年三月二九日申立人らに対し「地方公務員法第二八条第一項第四号により昭和四三年三月三一日限りをもつて免職する」旨の辞令書、並びに北九州市病院事業財政再建計画(以下再建計画という)及び北九州市職員定数条例の一部を改正する条例(昭和四二年北九州市条例第四七号。以下改正定数条例という)により同月三一日限り申立人らの職が廃止されるとともに定数が減少されること並びに昭和四三年度北九州市病院事業会計予算における職員給与費の予算が減少されることにより廃職及び過員を生ずることが処分の理由である旨記載した処分説明書を交付して申立人らをいわゆる分限免職処分(以下本件免職処分という)に付したことが認められる。

二、本件免職処分をめぐる事実関係

さらに疎明によれば、次のような事実が認められる。

(一)  北九州市政の経過

昭和三八年二月一〇日旧門司、小倉、若松、八幡及び戸畑の五市合併により誕生した北九州市は、合併特有の事情も加わつて、幾多の困難な行財政上の問題をかかえており、殊に財政面での行詰りが顕著であつた。

すなわち、一〇〇万都市としての都市機能の充実、整備等に膨大な行政需要を擁しながら、合併による引継ぎ赤字や経過措置の影響のほか、石炭、鉄鋼産業等地域経済の不振による市税収入の伸び悩み、生活保護対象者や失業者の増大による生活保障関係経費の増大、人件費の急増、病院・国民健康保険など各種特別会計の収支悪化による繰出金の増加などが原因となつて財政事情は窮迫し、毎年多額の実質赤字を出したばかりでなく、その構造をみても他の大都市に比べて人件費、扶助費、公債費等非弾力的な義務的経費の構成比率が非常に高く、これが投資的経費に対する圧迫、しわ寄せとなつてあらわれ、投資的経費の構成比率が甚しく低かつた(昭和四一年度二一・八%、他の五大市平均四〇・四%)。このような財政硬直化の傾向は年々強まり、合併により市民が最も期待した生活環境の整備も財源不足のため容易に進捗せず、既成の大都市に比較してますます著しい立遅れを示していた。

右の非弾力的な義務的経費のうち人件費の構成比率が高いのは、合併に伴う給与の調整等により給与水準が国家公務員に比べてかなり高いこと、合併に際して旧市の職員をそのまま引継いだだけでなく、旧市が競つて各種の施設を新増設したため(ちなみに、前記病院のうち戸畑病院は昭和三七年一日一日に設置されている)、職員数の増加を招き、人口当り一般会計所属の職員数が六大市中最も多いこと等に主要な原因があり、昭和四〇年七月に行なわれた自治省の行財政調査の報告においても、財政建直しのために必要な措置として人件費の増加の抑制が強調され、また、病院・国民健康保険など各種特別会計の経営内容の改善合理化も指摘されていた。

市当局は合併以来これらの懸案の改善に努力したが、容易に好転せず、昭和四一年春従来単純労務職員についても一般行政職員と同様に一率に行政職給料表を適用していたのを国や市議会の指摘により改め、給料表を分離する改正を行なつた際には、市職員で組織する一部の職員団体等から激しい抵抗と実力行使があり、窓口事務や清掃業務が長期にわたつて麻痺するという大混乱(一般に清掃紛争とよばれている。)を惹起するなど、前途は多難であつた。

昭和四二年三月就任した谷伍平市長は、このような行詰りを打開するため積極的に市行財政の建直しに取組み、職員団体のための職員の行為の特例に関する条例(いわゆる「ながら条例」)の制定、団体交渉ルールの確立、交通・水道・病院事業の財政再建計画、六八歳以上の高齢者に対する退職勧奨及びこれに応じない者の分限免職処分、一般職員に対する給料表の改訂、特殊勤務手当の整理、勤務時間の延長等を次々に実施し、市政の能率向上と人事管理に強い方針を示した。

このような谷市長の一連の施策に対しては、市職員の組織する職員団体や労働組合が激しく抵抗し、一部の他の労働組合や市民も同調したが、他方八幡製鉄所をはじめ同市内に事業所を有する企業及びこれら企業の従業員で組織される八幡製鉄労働組合等の有力な労働組合も病院事業の再建計画を含む合理化をやむを得ない措置として是認する態度をとつた。

(二)  病院事業の推移と経営の悪化

1、病院事業の推移

旧五市合併以前においては、若松市を除く四市は病院事業について地方公営企業法の財務規定等を適用せず普通特別会計で処理し、病院事業会計に赤字を生じた場合一般会計から補填して収支の均衡を保つていたが、若松市のみは石炭産業の不振等により極度に財政事情が悪化したため、昭和三七年度から市条例により右財務規定等を適用していた。

そのため右合併により前記五総合病院と二結核療養所の経営を引継いだ北九州市は合併後も右財務規定等の適用を受ける若松病院とこれの適用を受けないその他の病院とを区分して従来の会計上の取扱いを踏襲したが、その後昭和三九年四月施行の同法改正により若松病院以外の病院についても一〇〇人以上を雇用する病院事業として法律上当然に右財務規定等の適用を受けることとなり、さらに昭和四二年一月施行の同法改正により経費の負担区分の原則が明確に定められるとともに地方公営企業として設置し経営の基本原則にのつとり運営すべきこととされたので、昭和四一年一二月北九州市病院事業の設置等に関する条例(以下病院事業設置条例という)を制定し、翌年一月から施行した。

病院事業全体に財務規定等が適用される以前の昭和三七、三八両年度においてすでに若松病院は一億七、九九八万円(万単位以下切捨て。以下一万円以下を記載しない場合も同じ)の欠損金を出していた。

2、経営の悪化

右のような推移をたどつた北九州市の病院事業は、昭和三九年度以降、前記若松病院の欠損金のほか、人件費の膨脹、医師の不足(異動が激しく定着性に乏しい)等による患者数の減少、借入金利息の累増、薬品消費率が高いこと、採算の悪い結核療養所を二箇所もかかえていること、建設改良費などが原因となつて年年経営状態が悪化した。

まず、病院事業の収支の根幹である医業収益と医業費用の動きをみると、

医業収益      医業費用

三九年度 一三億八、五六二万円 一七億八、七〇三万円

四〇年度 一六億  三八七万円 二〇億二、三二七万円

四一年度 一六億八、五五八万円 二三億三、〇八九万円

となつており、均衡することが望ましいとされているのに、差引き昭和三九年度四億一四一万円、昭和四〇年度四億一、九三九万円、昭和四一年度六億四、五三〇万円(万単位以下を切捨てたため右両者の差額と完全には一致していない)という多額の医業損失を出し、特に昭和四一年度は悪化の兆しが著しかつた。

その結果、各年度末の累積欠損金と不良債務は次のとおり急増した。

累積欠損金    不良債務

三九年度末  二億五、〇一七万円  三億  六〇三万円

四〇年度末  五億六、一六〇万円  五億三、八五八万円

四一年度末 一一億六、四〇二万円 一〇億二、八〇六万円

さらに、昭和四一年度の決算数字に基づいて経営分析上通常用いられる財務諸比率をみると、

北九州市   自治体病院全国平均 備考

流動負債構成比率       五九・七六%  一九・九五% 低いほどよい

酸性試験比率         二六・一〇%  八七・六〇% 多いほどよく、一〇〇%以上が望ましい

負債比率         △四九九・三一% 一六九・五〇% 理態は一〇〇%△は欠損金が自己資本より多いことを示す

固定負債比率       △二〇六・八九% 一一五・七四% 理想は五〇%その他は右に同じ

流動負債比率       △二九二・四二%  五三・七六% 右に同じ

純利益対総収益率     △ 二八・五三%  △〇・〇一% △は当期欠損金があることを示す

医業利益対医業収益率   △ 三八・二八%  △二・三四% △は当期医業損失があることを示す

総収益対総費用比率      七七・八〇% 一〇〇・〇〇% 一〇〇%以下は当期欠損金を生ずることを示す

医業収益対医業費用比率    七二・三四%  九七・五〇% 一〇〇%以上が望ましい

利子負担率           六・五九%   五・二〇% 通常五~七%

企業償還額対償還財源比率 △  八・四三%   四・三八% △は欠損金が償還財源を上廻ることを示す

というように一般に経営が困難といわれる自治体病院の全国平均と比較しても極端に悪く(ちなみに、本件免職処分後に明らかにされた後記昭和四二年度の決算数字によると、これらの比率は一部を除いてさらに悪化している)、もしこのまま一〇年間推移するものと仮定すれば、借入金利息は昭和四一年度の五、六〇〇万円から昭和五一年度には約八億六、五〇〇万円に、職員給与費は同じく一三億九、八四四万円から約二二億三〇〇万円にそれぞれ増加し、昭和五一年度の医業収益約二〇億九、三〇〇万円に対する職員給与費の比率は一〇五・三%となり、医業収益によつては職員の給与も支払えず、不良債務も累増して約一三五億円余りという膨大な額に達するものと予想され、このままでは遠からず病院事業の存続さえ危ぶまれかねない憂慮すべき事態に立至つていた。

右のような経営悪化の最大の原因をなしているものは人件費の膨脹であり、医業収益に対する職員給与費の割合をみると、一般に病院事業の運営上五〇%を超えれば病院本来の運営は非常に困難であるといわれているのに、北九州市の病院事業の場合、昭和三九年度七九・二%、昭和四〇年度七四・三%、昭和四一年度八三・〇%と五〇%はもとより、他の五大市の比率、すなわち大阪市六八%、京都市六七%、横浜市六二%、神戸市六〇%、名古屋市五六%をもかなり超えていた。これは高齢職員が多いため平均給与が高く、かつ職員数が多いことやベースアツプ等によるもので、北九州市病院事業の全職員の平均給与を自治体病院の全国平均と比較すると、次のとおりである。

北九州市     全国平均

三九年度 六万  一五九円 四万六、〇一三円

四〇年度 六万四、八三四円 五万一、四四三円

四一年度 七万六、九五五円 五万六、六三五円

右の数字から明らかなように北九州市の給与は全国平均を相当上廻り、昭和四一年度では全国平均の三五%強、二万円余りも高かつた(もつとも他の五大市と比較すればこの数字はもう少し低くなるが、この点の疎明資料はない)。さらに、昭和四一年度の平均給与を職種別にみると、

北九州市      全国平均

医師    一六万四、九五五円 一四万四、一八一円

看護婦    七万二、二三六円  五万八、〇一五円

事務職員   七万八、八三五円  五万五、七三四円

単純労務職員 七万六、八〇六円    不明

となつており、北九州市の場合事務職員や単純労務職員の平均給与が看護婦のそれよりも高額である点に大きな特徴がある。

また、一〇〇床当り職員数をみても、全国平均五六・四人に対し北九州市は六一・五人と五・一人多く、この傾向は特に看護部門と給食部門にあらわれていた。

さらに、このような病院事業の経営悪化の基礎的条件として、北九州市の場合旧五市からそれぞれ病院を引継いだため他の五大市等経営の病院事業と比較して病床数がきわだつて多かつた。すなわち、前記五病院と二療養所を合計した病床数は二、四一四床で、約三倍の人口を有する大阪市(一、六二七床)以下他の五大市を遙かに引離して首位にあり、人口比率でも市民四三一人当り一ベツドに相当し、北九州市に次いで多い神戸市(一、二二四人に一ベツド)の約三倍に近く、五大市以外で病床数の非常に多い札幌市(八四七人に一ベツド)の約二倍近かつた。もつとも、その反面、北九州市には大学付属病院等がないこともあつて、市民の市立病院に依存する割合は他市に比較して非常に高いという事情があつた。

このような経営悪化による収支不足を補うため一般会計から病院事業会計に対する繰出金として、昭和三九年度四億三、三二三万円(自主財源の根幹である市税収入に対する比率三・七七%)、昭和四〇年度三億五、四八四万円(同二・八八%)、昭和四一年度二億九、六八〇万円(同二・二二%)が支出されており、右金額は年々減少してはいるが、他の五大市の一般会計から病院事業会計に対する繰出額の同比率(最高は昭和三九年度神戸市の一・四五%、昭和四〇年度横浜市の〇・九八%、昭和四一年度名古屋市の一・四三%)と比較して遙かに高率であつた。そして、前記(一)のような財政事情からして一般会計からの繰出額の増額により年々増大する病院事業の赤字を補填しようとすれば一般会計を圧迫し、市行政全般に甚大な悪影響を及ぼすことは必至であつた。

なお、本件免職処分後の昭和四三年九月市議会において認定された昭和四二年度病院事業会計決算によると、医業収益一八億三、二三九万円、医業費用二五億六、八五二万円、差引き医業損失七億三、六一二万円となつており、昭和四三年三月末の累積欠損金は一八億四、三〇五万円、不良債務は一五億九、一〇〇万円余りに達し、遂に累積欠損金が年間医業収益を上廻るありさまで、経営状態はさらに悪化していた。

(三)  病院事業再建に至る経過

1、再建計画の作成まで

右のような病院事業の状況に鑑み、市当局は昭和四一年四月ごろから経営悪化の原因追求や経営分析等に着手し、地方公営企業法第四三条による赤字再建団体として合理化を推進するかどうかを種々検討したが、諸般の事情から同年一二月三一日の財政再建申出期限までに申出をせず見送つた。しかし、経営はますます悪化するばかりであり、早晩抜本的な対策に迫られることは必至の情勢であつた。

こうして、谷市長就任後、病院事業所管の衛生局を中心に抜本的な再建策の検討が進められ(昭和四二年六月ごろにはすでに給食業務を含めて単純業務を民間委託せざるを得ないのではないかとの議論が強くなつていた)、同年八月末までには地方公営企業法第四九条第一項による財政再建の申出、病院事業に対する同法の全面適用、病院局の設置等の方針を決め、同年九月一三日の市議会衛生水道委員会においてこの方針を報告、説明したうえ、同月二六日から開かれた市議会に右申出をすることについて議決を求める議案及び同法の全面適用や病院局を設置するための病院事業設置条例の一部を改正する条例案等を提案し、同年一〇月一四日いずれも可決された。これに基づいて、同月一七日市長から自治大臣に対し財政再建を行なう旨の申出がなされ、同大臣は再建計画策定の基準となる日を同年一一月一日と指定した。この間、市当局は同日任命予定の病院事業管理者着任後可及的速やかに再建計画案を決定できるようにするため、自治省係官と折衝を重ねながら再建計画案の内容を煮つめる準備作業に全力を挙げた。

同年一一月一日地方公営企業法の全面適用により病院局が発足し、被申立人が北九州市病院事業管理者として初代の病院局長に任命され、同月四日着任した。そして、これまで進められてきた案に基づいて最終的な詰めが行なわれ、自治省との事前協議を経て、市当局の再建計画案が作成された。そこで、同月一一日市議会衛生水道委員会において市長、助役及び被申立人からその内容を説明したが、これはさきの財政再建申出審議の際の要望にそつて行なわれたもので、市議会に対する正式の提案ではなかつた。

2、再建計画の概要

再建計画案の概要は次のとおりである。

(I) 再建の期間

昭和四二年度から昭和五一年度までの一〇年間

(II) 再建の基本方針

北九州市病院事業の財政は昭和三九年度以降年々膨大な赤字を生じ、昭和四一年度末にはその累積欠損金は一一億六、五〇〇万円と急速に悪化したので、病院事業の公共性を充分しんしやくし、地方公営企業法第四九条の規定に基づき早急に財政の健全化をはかり、もつて市民の福祉と医療水準の向上に寄与しようとするもの

(III) 解消する不良債務の総額

一〇億三、七七九万円(各年度毎の配分額は省略)

(IV) 不良債務を解消し、財政の健全性を回復するための具体的措置

1、収入の増加に関する事項

(1) 検査、X線部門の充実

ア、心電計、脳波計、X線テレビ等医療器械の整備充実

イ、医療技術職員の増員(二六名)

(2) 入院外来利用者の増加

若松病院改築等建物施設の整備、医療器械の充実、検査機能の拡充、ガンセンター建設による高度医療の実施等により診療内容の充実をはかり、病院利用者の増加をはかる。

(3) 未稼働病床の活用

現在未稼働の戸畑病院一般病床四八床、結核病床六九床を昭和四二年度中に整備稼働させる。

(4) 基準看護の実施

戸畑病院については昭和四三年四月一日から、若松病院については同年一一月一日からそれぞれ実施する。

2、支出の節減に関する事項

(1) 結核療養所の合理的運営

利用状況等を勘案し、昭和四三年度までに現行八八四床を六〇〇床に縮少整備し、合理的運営をはかる。

(2) 人件費の適正化による節減

ア、給食業務、清掃業務、警備業務等を昭和四二年度末までに委託し、職員二六六名を減員する。

イ、高齢者等については、退職勧奨等を行なう。

ウ、給料表を昭和四二年度中に国家公務員に準じたものに改める。

エ、期末勤勉手当については、国家公務員の支給率を上廻らない率とする。

オ、特殊勤務手当については、現在二四種類のうち一五種類を廃止し、研究手当、臨時調整手当、婦長手当等の九種類とする。

カ、勤務時間を現行の拘束四三時間制から拘束四八時間制に改める。

(3) 物件費の節減

ア、薬品の購入制度を現行の各病院毎から一括購入の方法に改め、また貯蔵薬品管理を適切にし効率使用をはかる。

イ、その他物件費の節減をはかる。

3、一般会計からの繰入金

再建期間中に、収益的収支に属する負担区分に基くもの(企業債利息、看護婦養成費、高度医療補助、救急医療補助)として一三億三、六〇〇万円、一般運営補助金として一六億二、五〇〇万円、資本的収支に属するもの(企業債償還金、建設改良費、医療器械等整備費)として一三億五、四〇〇万円を計上する。

右の再建計画案中の収入の増加、支出の節減及び一般会計からの援助という三本の柱についてはおよそ考え得るあらゆる措置が盛り込まれており、殊に人件費の節減に関する部分は人件費を医業収益の六〇%以下に押さえる方針のもとにこれまで全国自治体に例をみないほどのきびしい内容であつた。市当局はそのうち2(2)アの給食業務等の委託及びこれに伴う単純労務職員二六六名の減員によりこれらの職員に要する年間二億五、九三五万円の人件費を削減して委託費七、六三八万円に切詰め、差引き一億八、二九六万円の節減を見込んでおり、これは初年度における不良債務解消計画の二二・三%を占める再建計画案中の欠くことのできない重要な柱の一つであつた。そのほか、経営状態が極端に悪化しているため、一般会計から毎年一般運営補助金が支出されること、再建期間が一〇年であること(地方公営企業法第四九条、第四三条第二項によればおおむね七年以内)などに特徴があつた。

3、再建計画の承認と分限免職処分の実施

右再建計画案及び単純労務職員を減員するための改正定数条例は同年一二月の市議会に提案され、同月一五日いずれも原案どおり可決された。後者は北九州市職員定数条例中病院局の職員定数を一、三三九人から、一、一五五人に、(これに伴い)市全体の職員定数を一二、九一四人から一二、七三〇人にそれぞれ改めることを内容とするもので、付則により昭和四三年四月一日から施行することとされており、提案理由は「病院事業の財政再建計画にもとづき、炊事員、病棟婦等単純労務の職に従事している職員のうち、委託または廃止する業務に従事しているもの二六六人を整理し、あわせて、診療部門、検査部門を充実し、未稼働病床の活用をはかるため、医師、衛生検査技師、エツクス線技師、看護婦を増員する必要があるので、この条例案を提出する」というのであつた。

こうして、昭和四二年一二月一八日市長から自治大臣に対して再建計画の申請がなされ、翌四三年一月三〇日同大臣の承認を得た。

被申立人はこの再建計画に基づいて単純労務職員の減員を実施するため、同年三月二一日付北九州市病院局告示第一号により、改正定数条例及び再建計画により病院局に置かれている職のうち同月三一日限りをもつて廃止される職は、調理土、炊事員、病棟婦、看護助手、営繕員、監視員、連絡員、院内清掃員、洗濯員、寝具消毒員、下足取扱員、寮用務員、外掃用務員、リネン交換員、びん洗い作業員、食器消毒員及び配膳婦である旨を告示したうえ、同月二五日、改正定数条例による改正前と改正後の各職種別定数を定める北九州市病院局職員職種別定数規程(昭和四三年北九州市病院局管理規程第二号、以下職種別定数規程という)を制定し、右規程は同月三〇日北九州市公報に登載されて公布(後記三(四)参照)された。これによると右調理士等の職種の改正前の定数は二六六人で改正後は零人となつており、付則には「この規程は、公布の日から施行し、改正後の職種別定数は、昭和四三年四月一日から適用し、北九州市病院局の職員で改正後の職種別定数より過員となるものの免職の手続は、昭和四三年三月三一日以前においても行なうことができる」旨規定されていた。

また、再建計画に従つて調製された昭和四三年度病院事業会計予算は同年三月二五日市議会において原案どおり議決されたが、右予算における職員給与費は従来二六六人であつた単純労務職員を零人として算定されており、昭和四二年度補正後の予算と比較すると、金額では一四億六、八二五万四、〇〇〇円から一一億九、七四二万七、〇〇〇円に、算定の基礎となる職員数では一、三三九人から一、一三〇人にそれぞれ減少していた。

被申立人はこのようにして分限免職の準備を整えたうえ、後記配置転換した八名及び昭和四三年三月三一日までに病院当局の勧奨により依願退職した八六名を除き、申立人らを含む一七二名を同日限り分限免職処分に付した。その結果、右処分直後には病院局の職員の実数は予定された医師、X線技師等の増員計画が未達成であつたため、一、一一〇人程度に減少していた。

右依願退職者及び分限免職になつた者計二五八名の内訳をみると、職種別では炊事員九九名(男二五名、女七四名)と看護助手及び病棟婦九六名(全員女子)が圧倒的多数を占め、年齢別(昭和四三年三月三一日現在)では二〇歳代二八名(男七名、女二一名)、三〇歳代五一名(男一六名、女三五名)、四〇歳代七六名(男一九名、女五七名)、五〇歳ないし六〇歳八七名(男一〇名、女七七名)、六一歳以上一六名(男六名、女一〇名)と中高年齢層の女子が目立つて多かつた。

4、配置転換と就職あつせん

市当局は、再建計画に基づいて減員すべき単純労務職員二六六名全員を他の部局に配置転換することはこれを受入れるだけの類似の職種の欠員がなく、また、単純労務職の性質上他の職種に転換することも困難であり、いずれにしても到底不可能と判断し、当初から全く考えず、これらの者に対する措置としては退職金を通常の二倍ないし一・五倍支給するとともに、業務を委託する民間業者に働きかけて就職をあつせんし、分限免職する方針をとつた。

しかしながら、若干名については市の他の部局に配置転換することは不可能ではなく、谷市長は昭和四三年二月一二日後記市職労の片岸執行委員長や三浦弁護士らと面談した際、配置転換の余地について質問を受け「組合内部でうまくまとまるなら、三、四〇名位であればそういうことも考えられる」との趣旨の発言をしており、ある程度期間をかければその程度の人数を他の部局へ配置転換することは可能であつた。ちなみに、交通及び水道事業の再建計画の場合、減員の方法として勧奨退職や局内での配置転換、あるいは職種変更による他の部局への配置転換等の方策がとられ、分限免職は行なわれなかつた。

しかし、市長、助役をはじめ市当局はそのような少数の配置転換対象者を選定する客観的な基準がなく、そのようなことをすればかえつて尖鋭な闘争的方針を一貫してとる職員団体等との摩擦を強め、混乱を惹起するだけであるとの認識のもとに配置転換に取組もうとせず、ただ谷市長就任後の採用者九名(全員炊事員)についてのみこれを検討し、昭和四二年一二月ごろ教育委員会に対し右九名の受入れ方を申入れた。この点につき、同年一二月の市議会において、谷市長は議員の質問に対し「再建案を検討中でまもなく再建しなければならない時期に採用したのは人事管理上の手落ちであり、学校給食関係に配置転換ないし再雇用の方向で考慮している」旨説明し、さらに右九名のみを取上げた点を追及されたのに対しては「任用時期の違いである」と答弁した。その結果、右九名のうち申立人藤岡サダ子を除く八名は昭和四三年一月一日付及び同年二月一日付で各四名ずつ学校給食調理員として教育委員会に出向を命ぜられ配置転換された(なお、右九名は前市長在任中の昭和四一年に労働組合の要求により増員が認められ、同年一二月に行なわれた採用試験に合格したものであつた)。

しかし、申立人藤岡サダ子は後記病院労組の副執行委員長であり、昭和四二年一二月一五日の後記病院ストライキの指導責任を問われて懲戒処分を受けることが必至の情勢となつたため、これを知つた教育委員会は同申立人を受入れることに難色を示し、病院局側においても同申立人の配置転換をあきらめ、遅くとも昭和四三年二月以降はそのための努力を全く放棄した。結局、同申立人は昭和四三年二月九日付で停職五一日間(ちようど分限免職予定の三月三一日まで)の処分を受け、他の谷市長就任前の採用者と同様に本件免職処分に付されたが、北九州市においてはこれまでにも停職期間中の職員を配置転換した事例があり、懲戒処分を受けたからといつて配置転換しないという取扱いはほとんどなかつた。

なお、学校給食調理員は炊事員の多い本件免職処分対象者を配置転換するには最も適当な職種であり、他にこれと同程度に配置転換の容易な職種は見当らないところ、前記八名のほか本件免職処分直後の昭和四三年四月には前年度の採用試験に合格し採用候補者名簿に登載されていた八名が新規採用されている(教育委員会が人事委員会からこの新規採用者八名分の候補者名簿の送付を受けたのは昭和四二年一二月六日)。

就職あつせんについては、病院局は市長部局から派遣を受けた職員三名を就職相談員に任命して病院局内に相談室を設ける一方、就職先の開拓にあたり昭和四三年二月中旬までに受託業者の関係で給食、清掃、警備、洗濯、リネン交換業務計一五〇名前後、個人委託の大工営繕業務七名のほか、市関係で国民健康保険徴収員五四名、水道料の検針徴収員一〇名前後、合計二二一名前後の職場を用意した。しかし、労働組合が就職あつせん活動に対して反対の態度に出たため、病院当局の期待したほどの成果はあがらず、実際に就職した者は一〇〇名を少し上廻る程度にとどまつた。こうして就職した者の給与を病院局在職当時と比較すると、男子青壮年層の場合低下の割合が比較的小さかつたが、女子の中高年齢層の場合には三分の一以下に低下した者もあり、ほとんどが半分以下であつた。

5、再建計画に対する労働組合の態度と団体交渉の経過

北九州市の職員はもと自治労北九州市職員労働組合(以下市職労という)に結集していたが、昭和四一年春単純労務職員の給料表分離に反対して発生した前記(一)のいわゆる清掃紛争をめぐつて分裂し、その後は新たに結成された自治労北九州市職員組合、自治労北九州市役所労働組合等の連合体である自治労北九州市職員労働組合連合会(以下市労連という)と市職労との併存状態にあつた。

右のような経過から市職労と市労連は活動方針において完全に一致しているわけではなかつたが、前記(一)のとおり谷市長就任後の一連の施策に対しては絶対反対の立場をとる点で基本的に一致しており、病院事業の再建問題についても同様であつた。

昭和四二年九月一三日市議会衛生水道委員会において病院事業につき財政再建の申出、地方公営企業法の全面適用等の方針が表明されるとともに労働組合に対してもその内容が提示されたことにより病院事業の再建問題が労使間の課題として大きく浮かびあがつた。その後、同年一一月一日の病院局発足までに、市当局(当時は衛生局の所管)と市職労との間で同月一六日、二二日及び一〇月二日の三回、市労連との間で九月二八日及び一〇月二〇日の二回主としてこの問題について団体交渉が行なわれたが、まだこの段階では再建計画案の検討中で内容が固まつていなかつたため、市当局から再建計画の必要性と人件費の大幅削減を含む再建案の骨子について説明する程度にとどまり、労働組合側の質疑に対して、人員整理の議論はあるが具体化していない、一一月に管理者が着任してから再建計画案が決定されるのでそれまで待つてもらいたい、再建申出自体は管理運営事項であるから組合と協議する必要はないが、労働条件に関する部分については管理者着任後に団体交渉を行なうなどと返答していた。従つて、団体交渉はほとんど進展せず、その後市職労からの開催申入れに対しても市当局はまだ再建案の内容がまとまつておらず、その段階ではないので管理者の着任後まで待つように返答し、また、市議会の開会中でもあつたためそれ以上の団体交渉は開かれなかつた。

こうして、同年一一月一日以降地方公営企業法の全面適用により病院局が発足し、病院局の職員は地方公営企業労働関係法の適用を受けることとなつたのに伴い、市職労に所属する職員は自治労北九州市職員労働組合病院評議会(組合員約七九二名。以下病院評議会という)を、市労連に所属する職員は自治労北九州市病院労働組合(組合員約二八三名。以下病院労組という)をそれぞれ同法に基く労働組合として結成し、別紙目録(一)記載の申立人らは前者に、同(二)記載の申立人らは後者に加入した。従つて、その後の団体交渉は被申立人をはじめ病院局幹部と病院評議会、病院労組の各代表との間で別個に行なわれることとなつた(ただし、病院労組の結成は同年一一月二一日であり、それまでは市労連の代表)。

前記1のとおり同月一一日市議会衛生水道委員会において説明された再建計画案の内容は労働組合側にとつて大きな驚きであり、直ちに団体交渉を申込み(同月一三日病院局から資料配付)、これに基づいて同月一五日最初の団体交渉が開かれ、その席上再建計画案の説明と質疑応答等が行なわれた。同年一二月一五日の市議会の議決までに開かれた団体交渉の日時と交渉時間は次のとおりである。

病院評議会

病院労組

年月日

時間

年月日

時間

四二・一一・一五

三・〇〇

四二・一一・一五

二・一五

二二

二・〇〇

二九

二・四五

二八

三・〇〇

一二・二

二・〇〇

一二・五

二・二七

三・一五

一一

二・〇〇

三・三〇

これらの団体交渉においては、単純労務職員の整理をはじめ再建計画案に盛られた基本線は絶対に変更できないとする病院局側と、ニユアンスの差はあるにせよ再建計画の必要性を認めず、絶対反対、殊に二六六名の整理の全面撤回を主張する労働組合側とが基本的に対立し、手続事項や抗議に時間を費すことも少なくなく、全体的な観点からの堀下げた交渉はなされずに終つた。もとより、労働組合側からの具体的な反対提案等はなかつた。

こうして、再建計画案の上程される一二月市議会の開会が同月八日に迫つてくる中で、自治労本部の応援を得て病院労組をはじめ市労連傘下の労働組合等により設置されていた自治労北九州病院水道合理化粉砕現地闘争本部(当時水道事業の再建計画が平行して提案されていた。なお、市職労は当時自治労本部の指導下にはなく、別行動をとつていた)は、同月五日市議会の最重要段階に病院二四時間、全職場一時間のストライキを決行することを決定し、同月七日非常事態宣言の名のもとにこれを発表した。そこで、病院労組はそのための準備を進める一方、同月六日福岡県地方労働委員会に対し被申立人を相手方として再建計画についての交渉促進及び市議会への提案と採決の延期を求める調停を申請し、また、病院評議会も同月一一日同委員会に対し被申立人及び市長を相手方として二六六名の整理等について団体交渉で話合いがつくまで市議会に上程せず、当時上程中の再建計画案を直ちに取下げること及びこれらの問題についての団体交渉の促進等を求める調停を申請した。

同委員会は事情聴取を行ない、同月一三日被申立人と病院労組に対し、翌一四日被申立人と病院評議会に対し、それぞれ次のとおり同一内容の調停案を提示した。

(1) 病院再建計画案は、二六六名の減員を含む職員の処遇について重大な影響をもつ内容のものであつて、計画案に関して当事者間に団体交渉が若干回数行われたことは認められるが、交渉中の問題の重要性を勘案すると、その期間、方法、回数などは充分と認めがたい。

(2) 病院再建計画案が、すでに議会に上程された現時点に於いても、市側は可能な限りの誠意をもつて交渉を続行し、双方が基本的な意見の一致が見出されるよう格段に努められたい。

(3) 組合側においては、交渉の成否にかかわることではあるが、平和的解決に努めるようにされたい。

右調停案に対し、病院労組は同月一三日「当局側が従来の事実上交渉拒否の態度を変更し、議会が次の会期まで議決しない」ことを前提として、病院評議会は翌一四日無条件でそれぞれ受諾し、被申立人も同日右のような前提条件等が調停案の内容ではないことを前提として右双方に対する関係で受諾した(なお、病院評議会は同月一三日福岡地方裁判所小倉支部に誠実団体交渉応諾請求の仮処分を申請したが、裁判所の事実上の勧告により同月一八日取下げた)。

しかし、右調停案は市議会の議決延期を当然の内容とするものではなく、同月一三日夜自治労本部書記長や市労連兼病院労組平田執行委員長らは谷市長と会見して団体交渉の継続を申入れ、さらに翌一四日市議会に対しても善処を要望したが、結局予定どおり同月一五日に採決が行なわれることとなつたため、病院労組はかねての計画に従い、同日門司、八幡両病院において二四時間のストライキを実施し、これに呼応して病院評議会も当日一括年休届を提出し年次有給休暇闘争に出た。

この間、病院評議会からは同月一三日から一五日までの連日団体交渉の申入れがなされたが、一三日は終日、一四日も同日から一五日未明にかけて徹夜で市議会衛生水道委員会が、一五日には本会議が開かれ、いずれも被申立人をはじめ病院局幹部が出席しなければならず、その他前記仮処分申請による裁判所からの出頭要請、前記ストライキに対処する準備等により病院局側が多忙を極めたため同月一九日まで団体交渉は開かれなかつた。その後昭和四三年三月までに病院評議会及び病院労組と病院局との間で行なわれた団体交渉の日時と交渉時間は次のとおりである。

病院評議会

病院労組

年月日

時間

年月日

時間

四二・一二・一九

二・一〇

四二・一二・一九

一・五五

二五

二・二五

二〇

一・三〇

二六

一・三〇

二五

二・〇〇

四三・一・一二

四・〇〇

四三・一・一二

三・三〇

一八

三・二〇

二・六

二・二〇

二六

二・五〇

一七

一・四五

二・六

二・二〇

三・七

二・二〇

一六

一・五〇

一九

二・五五

三・五

三・一〇

再建計画案議決後の団体交渉においても再建計画の内容をなしているいろいろな勤務条件に関する問題が取上げられたが、前記のような双方の基本的な態度は変らず、病院局側において当初昭和四三年一月から実施を予定していた勤務時間の延長、給料表の改訂及び特殊勤務手当の整理を同年四月に延期し、給料表の内容を若干手直しする程度の譲歩を行なつたにとどまり、単純労務職員二六六名の減員については実のある話合いは少なく、労働組合側から配置転換や年金受給年限に間近い者に対する特別措置の要求などが出されたものの(病院局側は病院労組の要求により学校給食調理員の定数等に関する資料提出を一旦約束したが、その後教育委員会で出せないといつているからとの理由で断わつている)、ほとんどは市当局に対する非難、または八名の配置転換の取扱いに対する攻撃等に終始して何ら進展せず、基本的な意見の一致を見出すことは到庭不可能であつた。

このような団体交渉全般を通じて、病院局側はできる限り労働組合側の開催申入れに応じ、また被申立人自ら出席するよう努めており、一方労働組合側においても出席者の一部に不穏当な発言をする者はあつたが、概して谷市長就任後に定められたルールに従つてほぼ平穏に行動した。

しかし、団体交渉外における労働組合の反対行動は激しく、昭和四三年二月ごろからは病院局幹部らに対する連日のような多人数による抗議や病院局庁舎前での坐り込み、病院ストなどを行ない、また、昭和四二年から四三年にかけての病院事業等の再建に関する市議会の議決に際してはその都度多数の組合員を動員して議事堂内外に坐り込ませるなどの妨害行為を繰返し(これに対抗して市当局側を援護する白腕章をつけた男達が現われ、組合員等を阻止した)、最終的に警察官の出動により坐り込みを排除して審議、議決が行なわれたこともあつた。殊に、昭和四三年三月一九日夜には予算特別委員会に出席しようとした谷市長が議事堂内において市職労組合員らのデモにもまれて胸部挫創、左第六第七肋骨骨折の傷害を負うという事件まで発生した。

6、給食業務の委託

再建計画に基づいて昭和四三年四月一日以降給食業務は北九州給食株式会社(門司、戸畑の両病院、第一、第二松寿園)、製鉄給食株式会社(若松、八幡の両病院)及び進和興産株式会社(小倉病院)の三社に委託された。

そのため被申立人は同日付で右三社との間に各病院毎に給食業務の一部委託に関する契約を締結したが、その内容は契約金額や契約保証金等を除いて全く同一であり、右契約により病院で行なう業務と受託業者が行なう業務に区分すれば、次のとおりである。

(病院で行なう業務)

(1) 履行状況の確認

給食業務の衛生的取扱い及びその他契約の履行状況を確認すること

(2) 給食施設の設置管理

給食業務にかかる施設、器具及び備品の設置、管理を行なうこと

(3) 受託業者の従業員の衛生管理の確認

受託業者が実施した従業員の健康診断、検便等の実施状況及び結果を確認すること

(4) 献立表の指示

献立表を受託業者に指示すること

(5) 給食人員の通知

給食人員を所定の時刻までに受託業者に通知すること

(6) 購入材料の確認

受託業者が購入する給食材料の確認を行なうこと

(7) 検食及び保存食

検食を行ない、保存食として患者の給食に供した一般食及び特別食の一部を保存すること

(8) 患者への配膳、引膳

病棟まで運搬された配膳車から患者への配膳及び患者から配膳車までの引膳を行なうこと

(受託業者が行なう業務)

(1) 人員の配置

受託業務を行なうために必要な専門的技術もしくは専門的な経験を有する者及びその他所要の人員を配置すること

(2) 消耗品等の購入

病院の設置管理する給食施設、器具及び備品以外のもので、受託業務に必要な消耗品等を購入すること

(3) 指揮監督

従業員の指揮、監督を行ない、災害防止責任者及び衛生管理責任者を定めること

(4) 業務実施計画書の作成

献立表等に基づき業務実施計画書を一週間毎に作成して病院に提出し、承認を受けること

(5) 給食材料の購入保管

給食材料の購入、出納及び保管を行なうこと

(6) 調理等

給食の調理、盛付け、膳の組立及び病棟までの運搬(引膳後の運搬を含む)を行なうこと

(7) 食器の洗滌等

食器の洗滌、消毒及び保管を行なうこと

(8) 残飯等の処理

給食後の残飯、残菜等を処理すること

右のような業務区分に基づき、病院側においては給食業務の全体的な管理を行なうため各病院に給食係と栄養士を置き、受託業者においても栄養士を配置している。

また、給食業務の委託に伴い、炊事員の定数を零にする等各病院の職員の定数を変更する必要があつたので、北九州市長は医療法第七条第二項により昭和四三年三月三一日付で各病院毎に福岡県知事の許可を受けた。

この給食業務委託の可否については、市議会をはじめ衆議院の地方行政委員会や社会労働委員会でも種々の論議があり、さらに同年三月三〇日北九州市居住の医師柏木正ほか八名の市民から地方自治法第二四二条第一項の規定により北九州市監査委員に対し給食業務の民間委託は医療法第二一条、職業安定法第四四条に違反するとして委託契約の締結を防止するため必要な措置を講ずべき旨の請求がなされたが、同年五月二五日右委託は違法ではなく、請求は理由がないものと認める旨の監査結果が公表された。

なお、全国の公的病院中、労災病院七、赤十字病院二、鉄道病院四〇(全部)及び市立病院二(堺市及び函館市)においても、すでに給食業務の委託が実施されていた。

三、申立人らの主張する本件免職処分の取消事由について

そこで、本件免職処分に申立人ら主張のような違法が存在するかどうか順次検討する。

(一)  まず、申立人らは、本件免職処分の根拠である定数の改廃及び予算の減少は昭和四三年四月一日に効力を生ずるのに、右処分の効力発生日は同年三月三一日であり、右処分の時点においては地方公務員法第二八条第一項第四号にいう「職制若しくは定数の改廃又は予算の減少」の事由は発生していないから、本件免職処分は同号の要件を欠くものとして違法であると主張する。

なるほど、改正定数条例及び職種別定数規程による定数の改廃並びに昭和四三年度病院事業会計予算における職員給与費の減少がいずれも昭和四三年四月一日から効力を生ずるものであることは前項二(三)3及び地方自治法第二〇八条第一項の規定に照らして明らかである。しかしながら、本件免職処分は「同年三月三一日限りをもつて」、すなわち右定数の改廃及び予算の減少により廃職または過員を生ずる同年四月一日と連続し接する時点において効力を発生したものであり、地方公務員法第二八条第一項第四号の規定はこのように廃職または過員を生ずる日と接する前日に効力を発生する分限免職処分を許しているものと解するのが相当であるから(もし申立人らの主張するように四月一日付でないと分限免職できないものとすれば、同日だけは条例や規程で定められた定数を超えて職員を存置しなければならず、違法な支出を強制されることになる。また、三月三一日限りで独立の行政官庁が廃止される場合を考えても、甚だ不都合な結果を招き、説明がつかない)、申立人らの主張は採用できない。

(二)  申立人らは、1、地方公務員法第二八条第一項第四号にいう過員とは当該地方公共団体の定める職員の総定数を基準として判断されるべきであり、本件免職処分当時北九州市の職員定数上過員は生じていない、2、仮りに右主張が容れられないとしても、被申立人の主張する本件免職処分の根拠のうち、(イ)まず再建計画はこれに基づく人員整理を必ず分限免職処分により行なわなければならないとする合理的な根拠がなく、(ロ)次に、地方自治法第一七二条第三項によれば「職員の定数は条例でこれを定める」と規定され、他に法令上職員数に関する基準の定めはなく、実定法規に基づいて論ずる限り前記地方公務員法の条項にいう過員とは右地方自治法の条項により条例で定められた職員定数との対比によつて、把握される概念であり、その意味において条例事項であるから、企業管理者の制定した職種別定数規程によつては過員を生ずるに由なく、また、廃職は職制の改廃のみによつて生ずる概念であり、前記地方公務員法の条項の解釈としては職制を定める法形式も条例でなければならないと考えるべきであるから、職種別定数規程によつては廃職を生じることはなく、いずれにしても職種別定数規程は本件免職処分の根拠となり得ず、(ハ)さらに予算の減少は前記地方公務員法の条項の解釈上それ自体で独自に分限免職事由としての「廃職又は過員」を生ずるものではなく、「職制若しくは定数の改廃」を媒介としてのみ「廃職又は過員」の間接的理由となり得るに過ぎず、被申立人の主張によれば昭和四三年度の病院事業会計予算においては給食業務、清掃業務、警備業務等に要する経費(すなわち申立人らが従事していたのと同一の業務についての実質的な人件費)が委託料として計上されており、このような場合にまで「廃職又は過員」発生の理由として人件費が零になつたものとは解しがたく、しかも予算上明らかなのは医業費用の総額だけで、予算説明書によつても職員給与費の総額が明らかにされているに過ぎないから、単純労務従事者の人件費の減少を予算によつて基礎づけることはできないのであり、結局本件免職処分の根拠となり得るのは改正定数条例に基づく定数の改廃による過員に限られるものと解すべきところ、右条例によれば病院局の職員定数は昭和四三年四月一日以降一、三三九名から一、一五五名に削減され、その結果一八四名の過員を生ずることとなつたが、それ以前に単純労務職員のうち八六名は任意退職し八名は配置転換されていたから、結局右条例に基づいて減員の措置をとり得るのは九〇名に過ぎないのに、被申立人はこれを超えて一七二名を分限免職処分に付しており、そのうち八二名については分限免職の根拠がない、しかるに、申立人らのうち右条例により過員にあたる者が誰で、そうでない者が誰であるかを特定することはできない、従つて右1、2のいずれにしても本件免職処分は前記地方公務員法の条項に定める要件を欠いて行なわれた違法があり、取消されるべきであると主張する。

地方公共団体が条例により任免権者別に職員の定数を定めている場合、この条例で定められた任免権者別の職員の定数がそれぞれ地方公務員法第二八条第一項第四号にいう「定数」にあたることは疑いを容れないから、後記(七)のように容易に任免権者の異なる他の部局への配置転換が可能であつたにもかかわらずこれを考慮しないで直ちに分限免職した場合に裁量権の濫用となり得るのは格別、一般に当該地方公共団体の職員の総定数を基準に同号の「過員」を判断すべきであると解すべき理由はなく、この点を前提とする申立人らの主張1は失当として排斥するほかない。

次に、同号にいう「定数」に地方自治法第一七二条第三項により条例で定められた職員の定数のほか、執行機関が条例の範囲内でその権限に基づいて規則、規程等の形式で定めた職員の員数が含まれるかどうかは右地方公務員法第二八条第一項第四号の解釈として一つの問題であるが、同号の明文の規定があるにもかかわらず、申立人ら主張のように「予算の減少」によつては分限免職事由としての「過員」を生ずるに由ないものとは到底解することができず、「予算の減少による過員」がそれ自体で独立の分限免職事由を構成するに何ら妨げないものといわざるを得ない。しかるに、「予算の減少」とは必ずしも予算の絶対額の積極的減少のみを指すものではなく、予算の絶対額の減少はなくても、当該予算額算定の基礎が変更され、そのため当初予算額により支弁されるべき職員数の減少を余儀なくされ過員を生ずるような場合をも含むものと解すべきところ、前項二(三)3認定の事実によれば、昭和四三年度北九州市病院事業会計予算における職員給与費の予算は再建計画に基づいて従来二六六人であつた単純労務職員を零人として算定されているのであるから(職員給与費算定の基礎となる全体の職員数は、単純労務職以外の職種で増員が予定されていたため、昭和四二年度補正後の予算に比べて二〇九名の減員にとどまつている。なお、地方公営企業法第四九条第二項、第四四条第四項により市長は再建計画に従つて予算を調製する義務を負つている)、同予算により申立人らを含む単純労務職員二六六名の過員を生ずるに至つたものといわなければならない。申立人ら主張のように委託された給食、清掃、警備等の業務が委託前と同一内容で行なわれており、委託料の大半が実質的には人件費であるとしても、これを病院事業会計予算における職員給与費と同一視して予算の減少がないものと解するごときは予算の本質を無視するもので到底許されず(地方公営企業法施行令第一八条第二項により給与費と他の経費との流用は禁止されている)、また、予算の減少による「過員」の具体的な内容が予算自体、あるいは予算説明書において明示されていることは地方公務員法第二八条第一項第四号の分限免職事由としての要件ではないので、前記病院事業会計予算及び予算説明書のみによつては単純労務職員に対する給与費が零になつたことが明らかでないからといつて、本件免職処分を根拠づけることができないというものではない。

右のように本件免職処分は、「職制若しくは定数の改廃による廃職又は過員」としてはさておき、「予算の減少による過員」として地方公務員法第二八条第一項第四号所定の要件をみたしているものであり、その余の点について判断するまでもなく、申立人らの主張2は理由がない。

(三)  申立人らは、もし被申立人主張のように改正定数条例の提案理由中に単純労務に従事する職員二六六名を整理するとともに医師等を増員する必要がある旨記載されているが故に右条例に基づいて二六六名の過員を生じ、これを分限免職することができるものと解し得るとすれば、右条例自体地方公務員法第二八条第一項第四号の「定数の改廃」を定めた条例ということができない、すなわち、議会は定数改正条例案の審議に際し右条例の改正により過員を生ずることが確実であり、しかも定数の減少により生ずる過員に等しい数以上の職員をその意に反して免職することを認める趣旨のものであることが明確であつた限り、右条項が過員を生ぜしめる行為を「定数の改廃」すなわち定数条例の改正によらしめている趣旨からして改正定数条例中にその旨を明示し、任免権者の免職の権限濫用のおそれを除去すべきであり、およそ立法技術上そのような定めをすることが可能であるにかかわらず、これをしない場合には違憲または違法の問題を生ずるから、もし改正定数条例が被申立人主張の趣旨のものであるとすれば、右条例の本文から当然出てくる過員の数を超える職員の分限免職に関する限り右条項にいう「定数の改廃」にあたらず、根拠を欠くものとして違法であると主張する。

しかしながら、前記(二)で判断したとおり本件免職処分は定数の改廃による過員としてはさておき、予算の減少による過員として根拠づけることができるのであり、仮りに定数の改廃について申立人ら主張のような瑕疵があつたとしても本件免職処分の効力には影響がないので、申立人らの右主張については特に判断するまでもなく、理由がない。

(四)  申立人らは、1、北九州市公告式条例第二条によれば条例を公布しようとするときは公布の旨の前文及び年月日等を記入しなければならず、同条例第五条第二項は市の機関の定める規程等で公表を要するものにこれを準用する旨規定しているところ、北九州市公報に登載された職種別定数規程の前文には「北九州市病院局職種別定数規程を次のように定める」と記入されているのみで、公布する旨の意思表示がなされていないから、公布手続に違法があり、その効力を有しない、2仮りに右主張が容れられないとしても、職種別定数規程が北九州市公報に登載されたのは昭和四三年三月三〇日であり、本件免職処分はその前日の二九日に発令されているから、職種別定数規程をもつて本件免職処分の根拠とはなし得ない、右1、2のいずれにしても本件免職処分は取消されるべきであると主張する。

右主張についても前記(三)と同様の理由で本件免職処分の効力に影響がないのみならず、北九州市公告式条例第五条第二項によれば、「第四条の規定は、市の機関の定める規程等で公表を要するものにこれを準用する」旨、第四条第一項によれば、「規則を除くほか、市長の定める規程等を公表しようとするときは、公表の旨の前文、年月日………を記入して市長印をおさなければならない」旨規定されており、条例の公布に際し「公布の旨の前文」の記入を要求する第二条第二項の規定は本件の職種別定数規程のような行政規則たる規程の公表には準用されておらず、また一般にその形式も一定しているものでもないから、この点を前提とする申立人らの主張1は失当というほかなく(もつとも、職種別定数規程の付則には「この規程は公布の日から施行し」とあるが、これは法文作成上外部に公表することを慣例的に「公布」という熟した文言であらわしたに過ぎず、そのため市公報に登載して公表する際に必ず公表の意思の存在を「公布する」という文言であらわさなければならないというものではない)、また、前項二(三)3の職種別定数規程の付則は同規程の施行前においても免職手続を行なうことができる趣旨と解すべきであり、仮りに施行前に免職手続を行なうことは許されないものと解しても、本件免職処分が効力を発生した昭和四三年三月三一日にはすでに同規程は施行されていたのであるから、施行前の同月二九日に辞令書が交付された点の瑕疵は本件免職処分の効力に影響を及ぼすものではないといわなければならない。いずれにしても申立人らの主張は理由がない。

(五)  申立人らは、再建計画は給食業務の民間委託を欠くべからざる構成部分としており、これなくしては成立し得ないところ、本来病院の給食業務は診療行為の一部として当該病院の管理者または勤務医師によりなされるべき医業であり、また当該病院の有する給食施設によつて遂行されなければならない医療業務であつて、病院の直営でなければならないのに、これを民間業者に委託することは医療法第二一条、医師法第一七条に違反する、もし被申立人の主張するように給食業務を民間業者に委託したが医療法に従つて行なつているというのであれば、右のような給食業務の医療行為としての性質上給食業務に対する病院の指導監督はまさに給食業者の従業員が文字どおり医師の手足として直接かつ具体的に掌握される程度に達しなければならないのであり、結局給食業者は単純労務に服する労働力を提供しこれを病院が使用することになり、再建計画は職業安定法第四四条に違反する、右のいずれにも違反しない中間地帯は存在しないのであり、再建計画の実施として行なわれた本件免職処分は違法として取消を免れないと主張する。

思うに、病院における給食が医療の一環として病院の責任において実施されなければならないことは当然であるが病院の管理者がその責任を果たすことを前提として、すなわち医療法第一五条に規定する病院の管理者が病院業務遂行上必要な注意を果たし得るような体制及び契約内容により給食業務の一部を第三者に委託することは同法の否定するところではないと解する。同法第二一条第一項によれば病院の有しなければならない人員及び施設として、第一号に「省令を以て定める員数の医師、歯科医師、看護婦その他の従業者」、第九号に「給食施設」とあり、同条に基づく医療法施行規則第一九条は給食関係の職員として病床数一〇〇以上の病院にあつては栄養士一と規定するが、調理士、調理員等については明記していない。これらの規定からみれば、給食業務が当該病院の有する給食施設により遂行されなければならないことは明らかであるが、それ以上にそのすべてを病院の雇用する従業者により直接に行なうことまで要求しているものとは解することができない。また、病院における給食が医療の一部ではあつても、医行為そのものとは解されず、給食業務の一部委託が医師でない者の医業を禁止する医師法第一七条に違反するものとは到底いえない。

申立人らは病院における給食が医行為に属することを前提として職業安定法違反を主張しているが、この前提が失当であることは右に示したとおりである。もとより、病院の管理者が前記のような責任を果たすためには受託者側における契約の完全履行を確認することが不可欠の前提となるが、委託される業務の内容が受託者側の一貫した責任のもとに行なわれ、しかも専門的な技術と経験に基づいた業務である場合、そのような契約履行の確認のために行なわれる医療上の監視、監督は受託者の従業員に対する業務遂行上の直接監督の権限と両立できないわけのものではなく労働者の供給それ自体を目的とするような事業形態を禁止する職業安定法第四四条には一般に牴触しないものというべきである。

前項二(三)6で認定した再建計画に基づく給食業務委託契約の内容等をみても、前記のような病院管理者の責任を果たし得るような体制がとられているものと一応認められ、かつ、職業安定法第四四条にいう労働者供給事業を行なう者であるかどうかの判定基準を規定している職業安定法施行規則第四条にも違反していないものと解されるので、申立人らの主張は理由がない。

(六)  申立人らは、本件免職処分は被申立人が申立人らの所属する病院評議会及び病院労組の申請に基づき福岡県地方労働委員会の提示した調停案を受諾し、これに署名捺印することにより右両労組との間に成立した労働協約に違反して、右両労組の本件免職問題に関する団体交渉の申入れを拒否し、かつその後開かれた団体交渉においても実質的な交渉を拒否し続けて行なわれたものであるから、労働法的にみて無効であるとともに、行政法的にみても違法である、すなわち、行政法的にみれば、1、右協約は行政庁たる被申立人が右両労組ひいては申立人らに対し団体交渉を尽してからでなければ本件免職処分を行なわない旨約したものといい得るところ、本件免職処分はこの約束に対する申立人らの信頼を裏切つたものとして違法であり、2、被申立人は右協約により右両労組と団体交渉を尽すべきことを本件免職処分をするに際しての必要な手続として確認、設定したものであつて、しかも右の確認、設定された手続は憲法及び地方公営企業労働関係法により本件免職処分を行なうについて被処分者の権利、利益を守るために最も必要かつ適切なものとして認められていることから結局本件免職処分に必要な法的手続といい得るところ、これに違反して行なわれたものとして違法であると主張する。

しかしながら、前項二(三)5で認定した福岡県地方労働委員会の調停案は最大限の誠意をもつて団体交渉を続行し、平和的に解決するよう勧告したにとどまり、これを受諾したことが具体的に本件免職処分に関し解雇の協議ないし同意条項と同様の労働協約を成立させたものとはその内容からして到底解することができない(病院労組についていえば、受諾の際附した市議会が次回の会期まで議決しないという前提条件が破れてさえいる)。また、前項二(三)5認定の団体交渉の経過によれば、市当局が団体交渉に対してとつた態度は、二六六名の減員をはじめ再建計画案中の労働条件に関する部分の重大性に比しやや性急であつたとの批判を免れず、配置転換の要求に対してとつた態度にも批判の余地はあるが(申立人らの主張する調停案受諾前後における市当局の団体交渉拒否は前項二(三)5で認定した当時の繁忙状況からすれば正当な理由に基づくものであり、また市当局が再建計画案の基本線について譲歩しなかつたことをもつて、実質的な交渉に応じなかつたとして非難するのはあたらない)、それだけで直ちに本件免職処分の手続に影響を及ぼすほどの瑕疵があつたものと断ずることはできず、いずれにしても申立人らの主張は失当というほかない。

(七)  申立人らは、地方公務員法第二八条第一項第四号による分限免職処分はその性質上最大限の努力を尽して可能な限り避けなければならず、必要やむを得ない場合にも最小限度にとどめるべきであるのに(行政法上の比例原則の要請)、本件免職処分は団体交渉義務を尽さず、労働組合に対し再建計画の内容を隠し続け、福岡県地方労働委員会の調停案受諾により成立した協定を破るなど背信行為を重ね、処分権者において他にとるべき手段、方法を探求する意志さえ持たずにひたすら免職処分のみを追求して行なわれたこと、北九州市の職員定数には本件被免職者全員一七二名を配置転換できるだけの欠員があり、少くとも四〇名については配置転換により分限免職を避け得たにもかかわらず、本件免職処分はこの措置をとらずに敢えて実施されたこと、被申立人が被処分者選定の基準を設定せず谷市長就任後の採用者についてのみ配置転換の取扱いをしたのは同市長の政治責任を回避するために人事権を私物化したもので、地方公務員法第一三条、第二七条第一項に違反し、処分権限が全く恣意的に行使されたこと等を挙げ、本件免職処分は処分権者により処分権を濫用した違法があり、取消されるべきであると主張する。

まず、団体交渉の点については前記(六)で判断したとおり市当局側に多少不当な点があつたとしても、民間企業の労使間に時に見られる労働協約上の協議義務、労働組合の同意権等特段の事由の存在しない本件ではそれだけで直ちに本件免職処分を違法ならしめるものとはいえないのみならず、当時市当局としては病院事業再建のため再建計画案を可及的速やかに実施せざるを得ない必要に迫られていたこと、他方従来の労働組合の態度からして再建計画案、就中二六六名の整理について基本的な意見の一致を見出すことは到底不可能であつたことなどを考えあわせると、市当局が再建計画案の基本線を既定の方針として譲歩しなかつたこともやむを得なかつたものと認められ、また、前項二(二)、(三)認定のような事情からすれば、本件免職処分が専ら分限免職処分それ自体を目的としてなされたものとは到底認められない。

次に、地方公務員法第二八条第一項第四号による過員の整理にあたつて何人を免職するかは任命権者が自らの裁量によつて決定できるものであるが、同法第一三条の平等取扱いの原側、第二七条第一項の公正基準及び第五六条の不利益取扱いの禁止に違反してはならず、また著しく客観的妥当性を欠き明らかに条理に反するような場合には、自由裁量の限界を超えるものとして違法というべきである。そこで、被申立人が谷市長就任後の採用者のみを配置転換した措置についてみると、極めて政治的な判断に基づくもので、公平を失する処置であるとも解せられなくはないが、客観的には任用時期の最も新しい者、すなわち前項二(二)2の平均給与と後記四(一)の給与から推認されるように概して給与がかなり低い者ということになり、人件費の増加の抑制に力を注いでいる北九州市の方針に合致している。また二六六名中から免職すべき少数の者を選択するのではなくその大半を免職してごく僅少の残すべき者を選定する場合であることを考慮すると、後記のように他にも配置転換が可能であるのに八名のみに限定した点の不当性は格別、著しく客観的妥当性を欠き明らかに条理に反するとか、地方公務員法第一三条、第二七条第一項に違反して本件免職処分を違法ならしめるものとは認められない。

ところで、地方公務員法第二八条第一項第四号による分限免職処分は同項第一号ないし第三号の場合と異なり被処分者には何らの責められるべき事情がないにもかかわらず、その意に反し任免権者の一方的な都合により免職して被処分者の生活の基盤を覆えすものであり、現行法制上、住民に対する奉仕者としての立場を有すると同時に憲法第二八条にいう勤労者にほかならない地方公務員から争議権が剥奪されていることを考えると(民間企業の労働者であれば本件のような整理解雇に対しては争議行為をもつて対抗できる)、任免権者は必要やむを得ず過員を整理する場合においても職員の生活の維持に配慮し、可能な限り配置転換その他の措置を講ずべきであり、配置転換が比較的容易である場合には争議権を与えられている民間企業の場合と異なり、単に任免権者の政策的、道義的な責務にとどまらず法律上の義務であると解すべきである。従つて配置転換が比較的容易であるにもかかわらず、これを考慮しないで直ちに分限免職処分をした場合には裁量権の濫用として違法となるものといわなければならない。

もつとも、同一地方公共団体内においても任免権者を異にする部局間の配置転換については全く同一には論じられないが、地方自治法第一三八条の三第二項、第一八〇条の三、第一八〇条の四、地方公営企業法第一六条等の法意を総合すれば、任免権者を異にする場合であつても、普通地方公共団体の長の調整機能を行使して同一地方公共団体全体の中で配置転換に努力すべき義務があり、任命権者の異なる他の部局への配置転換が容易であるにもかかわらず、これらの調整機能を十分行使せずに直ちに分限免職処分を行なつた場合には前説示同様に違法となるものといわなければならない。

これを本件についてみると、前項二(三)4で認定した他の部局への配置転換可能な三、四〇名という数字は谷市長が雑談的に述べたもので、仔細な検討の結果発表したものとの疎明もなく、従つてその算定の基礎や職種が明らかでないのみならず(本件整理の対象となつた単純労務職員の職種からみて学校給食関係を除きほとんど職種変更を要するものと推認される)、また時期的にも本件免職処分当時までにその全員を一時に配置転換できたかどうかにも疑問があるので、結局配置転換が容易であつたとは認めがたい。しかしながら、前項二(三)4で認定したように本件免職処分の直後である昭和四三年四月に教育委員会において学校給食調理員八名が新規採用されており、これらの新規採用者は昭和四二年度の採用試験に合格して採用候補者名簿に登載されていた者であるとはいえ、必ずその時期に採用すべき義務があるわけではなく、病院局から教育委員会に対する配置転換の折衝が専ら谷市長就任後の採用者についてのみ行なわれていた形跡があることからみると、本件整理対象者を配置転換するうえで最も容易な学校給食調理員について十分な配置転換の努力がなされたかどうか疑問といわざるを得ず、右新規採用者と同数の八名の配置転換は容易でなかつたとはいえない。そうだとすれば、前説示のとおり本件免職処分は配置転換の義務を尽さなかつた瑕疵を帯びるものといわざるを得ないが、この程度の配置転換容易な人数があつたからといつて、全員一七二名に対する分限免職処分を違法ならしめるものではなく、八名の限度において処分を違法ならしめるに過ぎないものと解する。そしてこの八名は、谷市長就任後の採用者を配置転換した北九州市の方針からすれば炊事員のうち採用日付の新しい者から順次(同一日付で採用された者については給与の低い者)選定する方法によるのが相当であり、この方法により選定した八名すなわち、申立人藤岡サダ子(採用日昭和四二年六月一日)、同赤木文造(同昭和三九年五月一日)、同桃坂知行(前同日)、申立外西朝子(同昭和三八年一二月一日)、同木村節子(前同日)、同福山春子(同昭和三八年二月七日)、申立人安田治子(前同日)、同片山澄夫(同昭和三七年一二月一日。なお、同日付採用者に申立外井村チエノがいるが、本件免職処分当時五〇歳で、同申立人より給与が遙かに高い)に対する分限免職処分は処分権濫用の違法がないとはいえない。前項二認定の病院事業の経営状態、北九州市の財政状況からすれば、その他に、処分権の濫用とみるべき事情は存しない。

(八)  なお、申立人らは、谷市長就任後に採用された九名のうち申立人藤岡サダ子のみを差別して配置転換の取扱いをせず本件免職処分に付したのは同申立人が活発な組合活動家であることを嫌悪したもので、労働組合法第七条第一号、地方公務員法第五六条の禁止する不当労働行為であり、かつ同法第二七条第一項に違反するので、同申立人に対する本件免職処分は取消されるべきであると主張するが、右主張について判断するまでもなく、同申立人に対する右処分はすでに前記(七)で、判断したとおり違法でないとは断じ難い点があるので、特に判断しない。

右にみたように前記(七)記載の申立人片山澄夫ほか四名については本案につき理由がないと見えるとはいえないが、その余の申立人らについては本案につき理由がないと見えるものといわなければならない。

四、申立人片山澄夫ほか四名につき回復の困難な損害を避けるための緊急の必要性の有無及び執行停止により公共の福祉に及ぼす影響

(一)  疎明によれば、

1、申立人片山澄夫は本件免職処分当時二二歳で第一松寿園に勤務し、本俸二万四、五〇〇円、暫定手当一、一〇〇円、特殊勤務手当三、三七〇円の給与を受け、これを五反歩程度の農業を営む両親と会社等に勤務する姉妹各一人から成る家族の生計の重要な支えとしていたこと、本件免職処分後は市職労の組織した「分限免職者を守る会」から毎月一万円のカンパを受けるだけで(本件免職処分は組合活動を直接の理由としてなされたものではないため、労働組合の救援規定の適用がない。)、他に収入を得る途はなく、同申立人に特段の資産もないこと、

2、申立人安田治子は本件免職処分当時三五歳で、門司病院に勤務し、本俸三万三、六〇〇円、暫定手当一、六二〇円、扶養手当一、〇〇〇円、特殊勤務手当一、〇〇〇円の給与を受けていたこと、同居の家族は昭和四二年三月に結婚した夫(同じ門司病院のボイラー技術者)だけであつたが、実母(六八歳)と死別した先夫との間の長男(小学生)を別に家を借りて扶養しており、同申立人の給与を専らその生活費にあてていたこと、本件免職処分後は前記「分限免職者を守る会」から毎月一万円のカンパを受けるだけで他に収入を得る途はなく、同申立人及び家族に特段の資産もないこと、

3、申立人赤木文造は本件免職処分当時二九歳で八幡病院に勤務し、本俸三万三、六〇〇円、暫定手当一、六二〇円、扶養手当二、〇〇〇円、通勤手当二、一〇八円の給与を受け、これのみによつて妻、長男(一歳)及び実母(七八歳)から成る家族の生計を立てていたこと、本件免職処分後は支出の節減をはかるため実母を市営の養老施設に入れる一方、他に職を求めるべく駆け廻つているうち交通事故にあつて五〇日余り入院し、その後仕事を見つけて一時働いていたが、再び解雇されたので、現在では毎月労働組合からのカンパ一万円のほか、時々労働組合の業務手伝や実兄の経営する飲食店を手伝うことにより約一万円の収入を得る程度で、生活費の不足分は実兄等から借財して辛うじて生計を維持していること、同申立人及び家族には特段の資産もないこと、

4、申立人藤岡サダ子は本件免職処分当時三四歳で若松病院に勤務し、本俸二万九、一〇〇〇円、暫定手当一、三四〇円、通勤手当二、九九四円の給与を受け、これを夫(タクシー運転手)、長女(高校生)及び次女(中学生)から成る家族の生計の欠くことのできないよりどころとしていたこと、本件免職処分後は毎月労働組合からのカンパ一万円のほか、労働組合の業務手伝により約一万円、洋裁の内職により約五、〇〇〇円の収入を得る程度で、同申立人及び家族には特段の資産もなく、本件免職処分前の借財を毎月三万三、〇〇〇円宛返済しなければならないため、辛うじて生計を維持していること、

5、申立人桃坂知行は本件免職処分当時三四歳で門司病院に勤務し、本俸四万二〇〇円、暫定手当二、〇〇〇円、扶養手当一、六〇〇円、通勤手当一、七〇五円の給与を受け、これのみによつて妻及び長女(三歳)から成る家族の生計を支えていたこと、本件免職処分後は毎月労働組合からのカンパ一万円のほか、労働組合の業務手伝により約二万円を得るだけで、他に収入を得る途はなく、生活費の不足分は他から借財をして本件申立後に誕生した次女を含む家族の生計を維持していること、同申立人及び家族には特段の資産もないこと、

がうかがわれる。

右の事実に今後本案の確定に至るまで相当長期間を要することが予想される点をあわせ考慮すると、右申立人五名につき本件免職処分により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるものと一応認められ、申立人安田治子、同藤岡サダ子の夫にそれぞれ毎月約四万円程度の賃金収入があること、申立人桃坂知行が本件免職処分の前後ごろ内定していた給食受託会社の就職口を自ら放棄したこと等の事実があるからといつて、別異に解すべきものではない。

(二)  また、右申立人五名に対する本件免職処分の効力を停止することにより特に公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるともいえない。

五、結論

以上のとおり本件各免職処分の効力の停止を求める申立人らの申立のうち、申立人片山澄夫、同安田治子、同赤木文造、同藤岡サダ子、同桃坂知行の申立は理由があるのでこれを認容し、その余の申立人らの申立は理由がないのでこれを却下することとし、申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 松村利智 石川哲男 安井正弘)

(別紙目録(一)(二)省略)

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